乾清花苑 太白廡 略伝引得
一族墓所は杉並区の西照寺
佐瀬得所(1822~1878) 会津の人、名恒、字子象、号得所・松城など、幼時より歐陽詢などを学び、長崎で清人箋少虎などに学ぶ、更に中国に渡り書法を研鑽、晩年には「修斉廉節」大字が明治天皇の御覧に浴した。また往時備中松山藩板倉侯の姫君付き奥祐筆であり、幕末に会津娘子軍隊長となった中野竹子の、書の師でもある。「新選万字文」あり。書丹碑あり
瀬恒・子象
五絶 午睡
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