乾清花苑  太白廡  略伝引得

佐々布篁石(1817〜1880)

 文政14年熊本古京町生。名直方、通称準助、のちに才三郎と改めた。はじめ福田太華の門に入り、花鳥、人物の画技を学んだ。その後、長崎を経て熊本を訪れた斎藤畸庵と出会い師事、南画に転向した。明治5年、55歳の時に熊本を離れ、三重、山梨の各地を転々としたあと、明治13年長野に向かったが、同年、伊那において63歳で死去した(UAG美術家研究所)。


篁石

樵水漁山
「日々平安」圖扇面