乾清花苑  太白廡  略伝引得

櫻井
 
櫻井才次郎(1678〜1753)
 延宝6年生まれ。水戸藩士で画をよくした。名は忠重、櫻井雪館の師。元禄8年水戸光圀が68歳の時、光圀の命により吉田、静、稲田の三社に奉納する四神の旗を描いたとされる。宝暦3年、75歳で死去した。
櫻井雪館(1715-1790)
 正徳5年磯浜生まれ。名は館、字は常翁。別号に山興、雪士、三江、萱園隠士などがある。父櫻井担、祖父も画家だった。櫻井才次郎の門人で江戸での門弟は二百余人といわれる。雪舟の遺蹟を集め、雪舟派の復興につとめ、画則を著し、自ら雪舟十二世と称した。山水、人物を得意とした。寛政2年、76歳で死去した。
櫻井雪保(〜1824
 江戸中・後期の画家。櫻井雪館の娘。江戸の人。父にまなび、雪舟流の山水・人物画を得意とした。文政7年9月9日死去。名は保子。別号に雪保、桂月、小雲谷、雪傑。
七家合作
櫻井雪鮮(1762〜1804)
  江戸中・後期の画家。宝暦12年生。桜井雪館の甥。雪館の家をつぐ。幕臣。大番同心をへて、昌平黌につとめる。桜花をえがき、252図からなる「花譜」をまとめた。文化元年11月11日死去。43歳。名絢。字は孟素。通称は政蔵。