乾清花苑  太白廡  略伝引得

酒井晦堂(1829〜1868)
 幕末の武士。文政12年生。越後長岡藩士。江戸で萩原緑野の門にまなび、江戸藩邸内就正館、のち藩校崇徳館の教授となる。戊辰戦争の際、河井継之助らの佐幕論に対して新政府への恭順を主張したが、藩論が抗戦にきまると出陣し、慶応4年7月29日戦死。40歳。名泰光。字公賓。通称孫之允、貞蔵。


墨蘭畫賛(木版)