羅溪慈本(1795〜1868) | |||||
天台僧。諱慈本、字泰初、号して羅溪と云い又水月道場とも云う。伊勢の人、寛政七年真宗僧を父として生れた。長じて比叡山に登り天台を学ぶ。後、西塔無量寿院に入寺して、自ら羅溪と号して碩学の名を叢林に高めた。天保年中妙法院教仁法親王の召により、京に出て洛東渋谷に廬を結び止住し更に後、松尾の明寿院に隠栖して曼殊院の宮の侍講もつとめたが、明治元年十二月二十六日台麓の十妙院別房に於いて入寂、75。坂本盛安寺に葬る。著書は天台霞標二十八巻、一実神道記等二十三部の他に天保十一年より慶應四年迄の詩文稿。文政巳丑離記、弘化甲辰日録二巻が叡山文庫に残されている(平安人物誌) | |||||
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