尾竹氏 | |||||
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尾竹越堂(1868〜1931) 明治〜昭和前期の日本画家。慶応4年1月28日生まれ。尾竹竹坡、尾竹国観の兄。「絵入新潟新聞」などに挿絵をえがく。明治32年上京して、小堀鞆音(ともと)にまなぶ。人物画を得意とした。明治末期から大正初期の文展で活躍。昭和6年12月3日死去。64歳。越後出身。本名は熊太郎。別号に国一。代表作に「韓信」「湖」など。 墓は寛永寺谷中霊園。 |
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尾竹竹坡(1878〜1936) 明治〜昭和前期の日本画家。明治11年1月11日生まれ。尾竹越堂の弟、尾竹国観の兄。4歳で笹田雲石に、のち川端玉章、小堀鞆音(ともと)にまなぶ。文展では、明治42年の第3回展で「茸狩」、第4回展で「おとづれ」、第5回展で「水」が受賞。大正8年八火社を創設。昭和11年6月2日死去。59歳。新潟県出身。本名は染吉。 墓は谷中霊園。 |
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尾竹國觀( 明治〜昭和前期の日本画家。明治13年4月21日生まれ。尾竹越堂、尾竹竹坡の弟。小堀鞆音(ともと)に師事。明治42年文展で「油断」が2等賞となり、以後おもに文展で活躍し、歴史画の大作を発表した。雑誌や絵本の挿絵もえがいた。昭和20年5月18日死去。66歳。新潟県出身。本名は亀吉。作品に「仮睡」「住吉」など。 |
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