乾清花苑  太白廡  略伝引得

大矢米年(1879〜1966)
 愛知郡米野生、11歳の時奥村石蘭の門に入り四条派の画を学び、のち京で森川曽文の教えをうけて花鳥画を研究。その没後は久保田米僊に師事。人物・山水を得意とする。一家をなし八事音聞山に居を構えた。
 明治28年に浜松市田町の市川霊雲が漆器製造所を創立して、東京から蒔絵師の秋山某、塗師の山岡徳三、研屋の栄次、色漆の井上為山らを招いて美術漆器の製造販売を始めた。好評だったため、次いで画工として浜松に来たのが米年である。米年は洒脱豪放な画風で評判はよかったのだが、事業は次第に縮小していったという(UAG美術家研究所ほか)。