乾清花苑  太白廡  略伝引得

大島君川(1862〜1943)
  明治の書家。名徳太郎、文久2年1月に、名古屋の水主町生まれ。初め蓼江、七舟などと号すが、後に君川と改号。祖父の大島随法も書家、幼時から恒川宕谷の書塾に入門し、書の基礎を学んだ。一時教職に就いたが、代々官職に就いた家柄から、愛知県庁に出仕し、大正2年に退官するまでの約30年間文書担当。その間、書の研究にも励み、上京した際には、西川春洞らと交流し大いに益を受けた。退官後は自宅を君川書房とし、子弟の教育に専ら努めた。門人に長谷川流石・石田泉城・吉田桂秋等。また各書道会とも関係をもち、不律会や泰東書道院の顧問としても活躍。君川の書いた記念碑や顕彰碑なども遺っていますが、特に看板は評判が良く、戦前名古屋市内にはと君川筆があふれたが、愛知県庁の大門札ともに戦災で焼失。晩年は失明し、五年後、昭和18年2月、81歳でこの世を去る(近代日本の書)。 

(詩文の続き)


古稀加五老試筆 1936