乾清花苑  太白廡  略伝引得

大久保氏  ※この項要詳査
大久保章言(1770〜1835)
 江戸後期の医師、国学者。明和7年生。医学を座光寺南屏に、のち京都にでて伊良子光顕)にまなび、郷里の甲斐で開業。寛政5年本居宣長の門弟となり、鷲彦と称した。天保6年7月6日死去。66歳。名は謙。字徳夫。号益堂。
大久保黄齋(1811〜1895)
 甲斐国蘭方医。文化8年11月27日甲斐国中巨摩郡大井村古市場生まれ。幼名羊太郎。名は通理、蘭香堂と号した。シーボルトに学び甲州地方における最初の蘭方医。天保7(1836)年江戸に出、坪井誠軒の日習塾に入門し蘭学及び西洋医学を学び、のち塾頭に挙げられた。帰京後、開業し名医として知られた。明治28年6月3日死去。

七絶 1862