乾清花苑
太白廡
略伝引得
奥山(糸井)榕齋(1781〜1841)
江戸後期の儒者。天明元年生。出羽久保田藩士。江戸にでて山本北山にまなぶ。江戸藩邸日知館の教授となり、のち帰藩して藩校明徳館の教授となった。天保12年4月23日死去。61歳(一に天保13年66歳)。本姓糸井。名高翼。字君鳳。通称は九平。著作に「辨藝園鉏莠」など。
「詠春柳」付箋に「下谷三枚橋、糸井九兵衛」とある(kotobank)。
詠春柳
秋草圖題詩
七絶