乾清花苑  太白廡  略伝引得

野村藤陰(1827〜1899)
 江戸後期・明治の儒者。文政10年10月生。美濃大垣藩士。後藤松陰、斎藤拙堂らにまなぶ。安政元年藩校敬教堂の講官となり、侍講もつとめる。明治元年督学。のち私塾や師範学校でおしえた。明治32年3月25日死去。73歳。名煥。字士章。通称は喜三郎。編著に「洞簫余響」。