乾清花苑  太白廡  略伝引得

野出蕉雨(1847〜1942)
 弘化4年若松米代三の丁生まれ。父の名は八左衛門。名は善次、通称は平八。はじめ会津藩士・塩田牛渚について南画を学んだ。戊辰戦争後は、一時農業や裁判所雇などをするが、本郷の瀬戸町に住み陶画の指導などをした。明治10年ころから本格的に制作活動を開始し、明治17年上京し、滝和亭に学んだ。主な門人としたは、勝田蕉琴、大堀半仙、梁取蕉園らがいる。画のかたわら、宝生流に秀で、会津謡曲の振興に尽力し、仕舞にも堪能だった。昭和17年、95歳で死去した(UGA)。



「玉堂富貴」圖小品(旧蔵)