乾清花苑  太白廡  略伝引得

中西伯圭(1763〜1839)
 伊勢山田の書家。名弘琰、通称小五郎、玄蕃、此面、字子圭、別号佩蘭、白鶴園。1宝暦13没。田中中世古(本町)の人。弘佐の次男。外宮権禰宜、正四位上に至った。又詩を橋村痴亭に、漢学を阪柳園に受け、狩野派の画を学ぶ。書は蒔田必器の門に学び、その真髄を窺ふた。川上葆は其高足である。嘗て師必器及小俣粟斎と同行して京都に遊び、必器が酔後扇面に一計を書したるを見、その書少しも平生と異なるなきに浩歎し、彼は終生学ぶも此域に達するの見込なしとて、爾来又筆を執らなかった。必器驚いて懇諭至らざるなく、遂に復勉強して妙技に達した。天保10没77歳(伊勢度会名軸図鑑)。


尊古

弘琰
天子六絶 白鷺六絶