乾清花苑  太白廡  略伝引得

中根家
 

中根半仙━━━半嶺━━━半湖
中根半仙(1798〜1849)

 江戸後期の漢学者。寛政10年生まれ。江戸の人。越後高田藩医。漢詩で名をあげる。巻菱湖に書道をまなび、篆刻にもひいでた。嘉永2年8月4日死去。52歳。名容。字公黙。別号に閑徒老人、玄石、」斎。作に「詠物百首」「詩韻自在」など。
中根半嶺(1831〜1914)

 幕末明治の医師、書家。天保2年2月16日生。中根半仙の子。幕府の医学館でまなび、父の職をついで越後高田藩の侍医兼書道師範となった。隷書を得意とし、関雪江とならび称される。明治40年の日本書道会創設につくした。大正3年6月23日死去。84歳。江戸出身。名は聞。字公升。

白日青松塵外想情風明月醉時歌

回頭六十七清明
















中根聞字公升
隷書報コ訓立軸 1897(旧蔵)
中根半湖(1871〜1938)

 東京の人。名興、号半湖、祖父半仙・父半嶺と三代続く書家の家に生まれ、父半嶺に書を、
漢学を島田篁村に、漢詩を大沼枕山に学び、隷書と楷書を得意とした。

結翰墨縁

興之印

半湖
隷書前後赤壁賦(旧蔵)