乾清花苑  太白廡  略伝引得

武藤山治(1867〜1934)
  明治〜昭和前期の実業家。慶応3年3月1日生れ。三井銀行をへて鐘淵紡績(カネボウ)にはいり、大正10年社長。温情主義の労務管理で知られた。12年実業同志会を結成し、13年衆議院議員(当選3回)。昭和7年時事新報社長となり、9年に連載した「番町会を暴く」が帝人事件に発展した。福島新吉に狙撃され、昭和9年3月10日死去。68歳。美濃出身。慶応義塾卒。旧姓は佐久間。