村上姑南(1818〜1890) | ||||||||
幕末・明治の儒者。文政元年6月1日生。豊前下毛郡の人。幼時、父麗澤に学んだが、『村上虎来、十七歳』で広瀬淡窓にまなぶ。医学もおさめ、郷里で開業。慶応4年佐田五郎作らの御許山騒動に際し、鎮撫のため豊後森藩にまねかれ、のち藩儒に登用された。明治9年春には、村上樟江・村上田長と跡田に塾舎を開き漢洋のニ学科を子弟に教えた。13年に、日田咸宜園を再興すると迎えられて師となった。居ること二年で辞して帰り、郷里竜の森に『学思館』を起し教授に当った。明治23年6月21日脳溢血で死去。73歳。名肇。字孟端。号は醒石また姑南、爽襟楼。通称慎次(kotobank、帆足先生的収蔵)。 | ||||||||
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