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森五石(1747〜1822) 日田の豪商。延享4年生。初代伊左衛門の長男。名常勝、通称三良左衛門、のちに二代伊左衛門。俳号に梅舎を使い、狂歌号に登果亭栗丈を用いた。別号に准陰漁叟、悠然亭がある。享和3年、57歳の時に家督を長男・春樹に譲り、悠然亭に隠棲したが、文政5年には、町三老の筆頭にあげられて町年寄役をつとめた。画は雪舟派から新たに南画に転じ、南蘋派の技法を学んだ。後年、田能村竹田とともに社を起こし、日田画壇の基礎を作った。文政5年、76歳で死去した(UGA)。 |
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森静古 豊後の南画家。森五石の三男秋艇のさらに三男(帆足先生的収蔵) 古今名家書画景況一覧(明治21)、古今名家新撰書画一覧(明治22)、これより先古今名家南画一覧(明治12)に「豊後牡静古」と見えるのは「杜」の誤植であろう。「帆足先生的収蔵」で、靜古が従叔父の杜荊田の室號「櫟園」を使用していることを五岳の為書の例から示している。 |
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