乾清花苑  太白廡  略伝引得

水溜米室(1817〜1882)
 画家。文化14年7月10日勢州山田一之木町生。通称:吉太郎 、吉太夫、由義、季倶。字:初め蓬壷、後米室。実父は山路五兵衛。長して水溜吉太夫の嗣となる。少時岡村鳳水に従ひて画道に入り、後京都に遊びて鳳遷の画塾に身を寄せ、また横山清暉の門に転し、四條派の技工精緻を極めた。後年、俳句を中瀬米牛に学び、また遊戯文学にも志し、冠句の老手であった。明治15年9月17日没。享年:66歳(伊勢度会近世名軸図鑑)