水田竹圃(1883〜1958) |
日本画家。本名忠治。別号満碧堂、積翠堂、水竹居、蟻池庵。自宅は京都市北区。明治16年2月14日大阪市生れ。同30年大阪で姫島竹外の門に入つて南画を学び、また伊藤介夫に漢学の教えをうけた。大正元年第6回文展で「渓山滴翠」が初入選で褒状を受け、更に8回、9回展でも受賞し、同5年10回展では「早春」が特選となつて画壇に認められた。大正8年、京都に居を移し、同10年には河野秋邨らと日本南画院を創立した。日本南画院展には昭和10年解散するまて毎年出品し、帝展も大正15年第7回展に委員に推され、昭和12年以降の文展にかけて出品をつづけている。日展には第4回から出品依嘱者として作品を送つている。大正10年より画塾菁我会を主宰し南画の指導、興隆に尽力した。なお水田硯山は実弟、水田慶泉は長男である。昭和33年7月11日心臓衰弱のため京大病院で逝去。享年75才(『日本美術年鑑』昭和34年版)。 |
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