乾清花苑  太白廡  略伝引得

水野疎梅(1864〜1921)
 明治・大正の書家。元治元年7月13日生まれ。筑前出身。名は直。字簡卿、疎梅は号。親は福岡藩の臣で、文武を兼ね備えた家柄であったが、五歳の時、明冶維新に遭遇し、その生活は一変。激動の青年期を経て福岡藩旧士族が立ち上げた桔社玄洋社にはいり、韓国政府顧問となるが閔妃暗殺事件のため帰国。社内では筆に堪能であることから書記の担当を命ぜられ、『稿本玄洋社社史』を書き残している。明治43年上海にわたり呉昌碩、楊守敬ら書家とまじわる。以後しばしば往来して中国各地を遊歴した。大正10年10月6日死去。58歳(Wiki、「水野疎梅と福岡の碑史」)。