三谷家(久留米藩御用絵師) | |
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三谷勝澤有信 (1842〜1928) 久留米藩最後の御用絵師。天保11年生。三谷勝波方信の長男。三谷等哲の末裔。幼名虎三郎。のちに狩野勝沢と称した。安政6年、17歳で木挽町狩野家の狩野勝川院に入門。20歳の時に狩野姓を許され狩野勝沢と称した。狩野芳崖、橋本雅邦は同門。明治に入ると長崎や東京で西洋画法を研究。県会議員、初代久留米市会議長をつとめる一方、内国絵画共進会、東洋絵画共進会などに出品した。明治40年には政界を引退して画業に専念した。大正14年、東京において84歳で死去した(UAG美術家研究所)。 代表作「福岡縣下水害図(筑後川水害絵巻)」1889、 著に『筑後地理小誌』『三潴上代考』() |
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