乾清花苑  太白廡  略伝引得

味方海山(1863〜1942)
 現在の新潟市中央区寄居町に生まれ。幼少から指先で絵や字を描き、画家としての才能を見抜いた父親が京都の南画家田能村直入に弟子入りさせた。そこで海山は文人画を学んだが指頭画を貫いた。その珍しい描き方と、繊細な仕上がりに、人気を博し、特に梅と達磨の絵を得意とし、驚くほどの速さで仕上げたという。また皇室や軍の上層部の人たちの前でもその描きぶりを披露していたことが当時の新聞に記されているという。
 長い間旅画家として全国を渡り歩いたが、晩年は新潟松浜に戻り79歳で亡くなった。
http://www.city.niigata.jp/info/kita/tayori/doc/kkd050_06_07.pdf
 「珍物畫傳」に奥州で買った伊達家制札を長の道中担ぎながら歩いたが、東京でついに博物館へ譲った話や、土方の親文の尻に蟹を書いたやったら、喜んで入れ墨にすると答えた話が見える。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/778379/76?tocOpened=1
     
梅樹畫 

戻る