乾清花苑  太白廡  略伝引得

三森幹雄(1830〜1910)
 幕末・明治の俳人。文政12年12月16日生。江戸で志倉西馬に師事。のち神道の大成教に属し、俳諧による教化運動をはかる。明治13年「俳諧明倫雑誌」を創刊。明治43年10月17日死去。82歳。陸奥石川郡出身。本名寛。別号に春秋庵(11代)など。著作に「俳諧名誉談」など。

ミき雄

幹雄

短命自殺句 高位自禮句