乾清花苑  太白廡  略伝引得

鸞洲 松浦厚(1864〜1934)
 明治〜昭和初期の華族。肥前平戸藩主松浦詮の長男。正二位、伯爵。茶道家、漢詩人。
 学習院初等学科に入学。明治17年6月、陸軍予備士官学校に入学。翌5年9月、予備士官学校の廃校にともない退学。なお、同年8月、明治政府からイギリス留学を許可されていた。自費留学で5年間の滞在予定であった。渡英後、ケンブリッジ大学に入学し、国際法を修める。明治26年、ドイツ・イタリア・フランスなどを訪問し帰国。明治41年、父詮の死去により、家督を相続。明治44年7月、貴族院議員に当選し、3期務めた。著に『国論の一致』『北海の宝庫』など。
 昭和初期に株が大暴落、巨額の損失を被った。昭和9年、71歳で病没。墓所は東京都染井墓地。陞が家督を継いだ。
 平戸藩第4代藩主松浦鎮信(天祥)が興した武家茶道の流派である鎮信流を継承する石州流鎮信派の家元でもあり、鸞州の号がある。