乾清花苑  太白廡  略伝引得

松村琴荘(1864〜)
 江戸の人。名芳、字不朽、琴荘は号、日本画家小室翠雲の漢学の師で、漢詩人として活躍した人である。明治になって前橋に住、大正12年の大震災で、湯島新花町家が焼ける。大正から昭和にかけて高崎へ移住。昭和2年「琴荘会」創立に田山花袋が賛成人となっている。昭和12年上京後不明。編著に『新上毛百人絶句』。書丹に「千五郎池改修碑」。母のおあいは、徳川 家慶と板東兼治(踊り女師匠)との間に出来た子である(黄虎洞ほか)。
 
元老人


琴荘

 芳印
「榛名湖」七絶