乾清花苑  太白廡  略伝引得

松木雅樂之助家
 
〇匡彦━┓
┏━━━┛
┣興彦
┣植彦
┗盛彦━┳満彦━┳直彦━━智彦━━卓彦━━言彦━━算彦━━品彦──偉彦━┓
      ┃     ┗親彦━━条彦━┳如彦                  ┏━━━━┛
      ┗始彦              ┣岩淵尋彦               ┗時彦━素彦
                        ┣致彦
                        ┗意彦━┳宅彦━━恒彦━┳貞董
                              ┃            ┣成彦
                              ┗博彦        ┣鍮彦
                                           ┗武彦━━偉彦↑
五峰 松木偉彦(くすひこ、1843〜1917)
 
姓度會。諱偉彦、字子温、香雲と號す。五峰はその別號。家は代々外宮の禰宜であった。明治四4御宮職制改正につき職を免ぜられ、後再び辟さるるも辭して仕えず。専ら文雅風流を事とし、鐵筆を以て悠遊自適した。その技の高芙蓉より起りて東壑・蠖庵・端隠・香雲に、その印統を傳える。蓋し香雲はその第五世である。門地固より高く気格自ら清く、恬淡寡慾にして名聞を求めず、是を以て人その徳に服す。嘗で三條賓美・伊藤博文ノ命により、石印數顆を刻せしに皆その意に愜う。伊藤耕は特に扁額を書してこれに酬いた(矢土錦山の題あり)。是に於て二公香雲に勧むるに幟を東都に翻し、大に斯道を舒張せんことを以てせしも辭して應ぜず。その刻する所実に一千有余顆を算するに至り、皆その家に存す。大正6年12月28日病みて歿す。年74。遺著に「香雲印譜」二巻(三重先賢傳ほか)

五峰印箋