乾清花苑  太白廡  略伝引得

松平定敬(さだあき、1847〜1908)
  幕末・明治の大名。弘化3年12月2日生。美濃高須藩主松平義建の7男。松平猷(定猷)の婿養子となり、安政6年伊勢桑名藩主松平(久松)家4代。元治元年京都所司代。実兄の京都守護職松平容保とともに京都の治安維持にあたる。戊辰戦争で転戦して箱館の五稜郭にはいり、明治2年降伏して伊勢津藩にあずけられた。29年日光東照宮宮司。明治41年7月21日死去。63歳。 号は晴山、通称は鍥之助。


「松亭」二字横物