乾清花苑
太白廡
略伝引得
林則徐(1785〜1850)
清代の官吏。福建省生。字元撫・少穆、号竢村老人。嘉慶の進士。阿片禁煙論を唱え、鉄差大臣としてイギリスとの貿易問題解決に尽力、阿片戦争の際陸軍海軍最高責任者となる。和議成立後イリー辺彊に左遷されたが開墾事業に功績をあげ、雲貴総督に昇任。洪秀全の乱の際、討伐軍司令官(欽差大臣広西巡撫)に任ぜられ進軍中に病歿。現代中国においては当時第一の愛国者として再評価されている。道光30年歿、65才(kotobank)。
道光七年林少穆
在關中手拓
栖先塋記碑