乾清花苑  太白廡  略伝引得

日下部鳴鶴(1838〜1922)
  明治・大正の書家。天保9年8月18日生。もと近江彦根藩士。明治2年太政官大書記官となり、12年辞任。13年清の楊守敬が来日すると巌谷一六らとともに漢魏六朝の書法をまなび、六朝書道とよばれる新書風をうちたてた。大正11年1月27日死去。85歳。作品に「大久保公神道碑」(青山霊園)ほか書丹碑多し。本姓は田中。名東作。字は子暘。