乾清花苑  太白廡  略伝引得

草場佩川(1787〜1867)
 江戸後期の儒者。天明7年1月7日生。肥前佐賀藩家老多久氏の家臣。古賀精里にまなぶ。文化8年対馬で朝鮮通信使と詩文をかわして有名。のち藩校弘道館教授。漢詩、墨竹画をよくした。慶応3年10月29日死去。81歳。名韡。字棣芳。通称は瑳(磋)助。別号に珮川、玉女山樵など。著作に「津島日記」、詩集に「珮川詩鈔」など。