乾清花苑  太白廡  略伝引得

倉尾古岳(1878〜1944)

 名古屋の医師にして広く文武の技に精通、雪より潔い人格の人。回春の名医として定評。また多能で、書画篆刻詩文茶華から柔道撃剣水泳に至るまで精通。書ははじめ市川塔南に学び、六朝に深入、蒼古の趣きは掬すべく、篆隷においては匹儔稀なりという。画は韓人洪小南について風韻高雅、もっとも竹に長じた。詩文は矢土錦山に質して豪壮の致に飛んだ。中京書道会を創立、幹事にしてまた大同書会名古屋支部長(名古屋新百人物、 続)。
 三重の人、名友三郎、字子朋、号を古岳・朱竹道人・無学野人などと称し、愛知県医学専門学校に学んで開業、内科・外科・眼科を兼ねた名医として知られている。同時に書を内田春嶺に学び、更に日下部鳴鶴からも益を受け、泰東書道院評議員等を歴任して活躍した書家でもあり、特に篆・隷に秀でている(黄虎洞)。書丹碑あり


















  篆書立軸 墨竹并詩(旧蔵)