乾清花苑  太白廡  略伝引得

 熊本峻齋(1820〜1890)
 文政3年生。本姓は小林氏。小林百治郎の長男。通称は陽蔵、諱は宗孝。省して熊秀といった。居は成美書屋と称した。熊本陽平の後を継いで書物目利とつとめた。明治に入り、長崎製鉄所に奉職し、さらに長崎県庁につとめた。文政10年に叔父の荒木千洲に師事し、以後25年間絶えずその指導を受け、千洲没後は元明清の諸大家を研究した。明治23年、71歳で死去した(UGA)。