乾清花苑  太白廡  略伝引得

熊田葦城(1862〜1940)
 備後国出身。名宗次郎、号葦城。明治・大正・昭和の歴史学者、文筆家。嘗て函舘に在り、
其地の新聞社員たり、明治28年の頃報知新聞編輯長に轉じ、今は藝陽の新聞社に入る、漢詩に巧にして詩友頗る多し、また狂歌を善くし、腹の屋春雄の名を以て、汎く朝野の名士が、
海外に遊びし際の失策談を蒐錄し、名づけて「赤毛布」と云ふ、書出でゝ版を改むること數度、
一時世上に喧傳せらる、葦城性酒を愛し、猪口千個を集めんとし、自ら號して、千巵閣主人と云ふ。詩友西岡宜軒翁をして大書せしめ之を楣間に掲ぐ、其性溫厚君子の風あり、此を以て部下の人尚其コを記する者多し、葦城嘗て本郷彌生町帝國大學の裏門前に住す、余戯れに狂歌を贈る曰く
 大學の 裏にあたれる 彌生町 而して後 春もたつらん 酒井辨『明治畸人伝』


「浮沈」五律小品(旧蔵)