乾清花苑  太白廡  略伝引得

巨勢小石(1843〜1919)
  画家。本名は八田金起。主に仏画と花鳥画を描き、巨勢派の最後を飾った。 天保14年9月28日下京大坂町生れ、父は巨勢金観。家は代々「八田久左衛門」と称し仏画を制作。京都で岸連山、中西耕石に画を、神山鳳陽に詩を学ぶ。家伝の巨勢家系図に従って本姓の巨勢に復し、「巨勢金岡三十八世孫」と称した。その後各地を遍歴し、明治11年には清国に遊学。帰国後は京都府画学校(京都市立芸術大学)、華族会館分局画学校などで絵画を教え、明治23年からは東京美術学校(東京芸術大学)教授に就任した。晩年は京都に戻り、田能村直入や富岡鉄斎らと日本南画協会を作るなど、東京奠都後に衰退した京都画壇の復興に努めた。 大正8年9月17日没。