乾清花苑  太白廡  略伝引得

小谷秋水(1792〜1872)
 勢州神戸の藩士。諱は正躬、自白圭。通称三治。秋水は号。寛政4年生。藩命をもって古賀侗庵の門に遊び、のち昌平黌に学び推薦で舎監となる。時に藩校掌教長野豊山と相識り、豊山の藩主への勧めで興学の補佐となる。また大いに篠崎小竹の知遇を得た。文政8年豊山に代わり藩校掌教官となり、同藩子弟の教育を司ること実に40余年、藩士その功を賞し終身禄を給う。明治5年1月歿。年81。秋水人となり剛直清廉もっとも経義に精通し漢詩に長じた(三重先賢傳)。