乾清花苑
太白廡
略伝引得
小曾根乾堂(1828〜1885)
江戸時代末期から明治時代の日本の事業家・書家・文人画家・篆刻家である。明治政府の勅命により御璽・国璽を刻したことで知られる。また、坂本龍馬のよき理解者であり、財政面を支えている。幼名六郎太、六朗。諱豊明、字守辱、乾堂は号で室号を鎮鼎山房・浪平釣叟とした。通称は栄。長崎の人。 書家でもあった父六郎左衛門の薫陶を受け、書を春老谷・銭少虎・楊覚三・水野媚川らに、画を陳逸舟・祖門鉄翁らに、篆刻を大城石農に学び、最も篆刻を得意とした。
小曾根榮章
松深竹密
字守辱號乾堂
篆書許渾「送宋處士歸山」七絶立軸
1851(旧蔵)