乾清花苑  太白廡  略伝引得

近藤尺天(1857〜)

 讃岐の人、名は同、字子同、号を尺天・人瑞・石・痩藤など。明治20年(1887)に大阪に移り、敷田年治(1817〜1902)に師事して詩書を能くした。文人墨客と交流した国学者にして篆刻家。門人菅楯彦に近藤尺天の図がある。

「碑」和歌短冊(旧蔵)