小波魚青(1844〜1918) | ||||
本名盛春、はじめ南洋と号し、のちに魚青と号す。別号、月柳、月華、夏風庵、清風居。弘化元年、宇和島伊達の家老の家生れ。画家を志し京都四条派の流れをくむ伊予の画家・梶谷南海に学び、のちに京都の四条派の長谷川玉峰の門に入ったという。明治初頭に長崎に移住し、明治24年のロシア皇太子ニコライ2世が長崎を訪れた際には長崎県知事官邸で席画を描いたとも伝えられている。大正2年には長崎の料亭迎陽亭で「小波魚青先生古希祝賀展観会」が開催された。魚青の長男・胤雄(1876〜)も魚江と号し、画家として活動していた(長崎県美術館)。 | ||||
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