乾清花苑  太白廡  略伝引得

こいえ
鯉江方壽(1821〜1901)
(清和源氏)新羅義光━━義清━━清光━━加々見遠光━━光行━━實光━┓
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┗光頼━━時光━━〇鯉江義孟━━方照━━朝章━━章政━━季方━━━┓
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┗勝朝━━親季━━純朝━━朝信━━方嗣━━方邦━━義行━━義正━━┓
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┗方時━━方治━━茲方━━方信━━方綱━━正義━━家親━━重方━━┓
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┗隆方━┳忠行(佐左衛門祖)             佐治衛門 ┏(佐次右衛門家)
      ┗尚隆━━方宗━━方氏━━經國━━方頼━┻尚方━━方救━━┓
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方壽━━方生━━方敬

 通称:伊三郎、文政4年12月7日生、明治34年5月12日没。尾張国知多郡常滑村出身の陶芸家。鯉江小三郎家三代目。
 父の鯉江方救と共に常滑焼の鉄砲窯を改良し、真焼窯を考案した。1835年に真焼窯を親子で完成させたとされ、1874年には堅焼きの丈夫な真焼土管(常滑陶管)の国産化に成功し、常滑焼の基礎を築いたとして名高い。
 清人を招聘して、朱泥の急須作りを導入して常滑焼を代表する製法とした。その他には美術研究所の埋め立て事業、新田開発(鯉江新開)を行った。
 大正10年に平野六郎により制作された陶像があり、昭和4年生誕百年を記念して天神山に台座銘とともに建立された、『鯉江方壽翁』誌が刊行された(国会図書館)。


仙子樓

江壽

欖枝七律