幸野梅嶺親子 | ||||||||
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幸野梅嶺(1844〜1895) 江戸末明治初の日本画家。名は直豊、幼名は角三郎、字は思順、号は楳嶺、他に鶯夢、長安堂、青龍館、六柳北圃など多数。 天保15年3月3日生。中島来章、塩川文麟らにまなび、花鳥画を得意とした。明治13年京都府画学校の設立に参加。竹内栖鳳、川合玉堂、上村松園らをそだてる。明治28年2月2日死去。52歳。京都出身。本姓は安田。代表作に「帝釈試三獣図」、著作に「百鳥画譜」など。 |
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森本東閣(1878〜1947) 日本画家。京都生。名は角太郎。幸野楳嶺の長男。父楳嶺の門人菊池芳文に師事し、また菊池契月の画塾にも参加する。東閣画塾をひらき、入江波光など多くの子弟を育てた。のち森本後凋の養子となり家を継いだ。昭和22年歿、70才。 |
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幸野西湖(1882〜1947) 日本画家。京都生。名は円次郎。楳嶺の次男。父及び竹内栖鳳に学ぶ。日本絵画協会第三回絵画共進会で二等褒状を受けた。昭和20年歿、64才。 |
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