乾清花苑  太白廡  略伝引得

喜多村松齋(1867〜1934)
 慶応3年広島県福山生。今尾景年につき円山派を学び、岡山に帰り山陽高等女学校の教師をしたほか、自宅でも広く教え、京都の新日本画の傾向を岡山に伝えた。昭和9年、68歳で死去した(UAG美術家研究所)。