乾清花苑  太白廡  略伝引得

安川柳溪(1819〜1898)
 郷土史家・画家・書家・村名主。名惟礼(これまさ)、字子恭、柳渓はその号。郷土の地誌をまとめた『上総国誌』を著し、優れた詩書画を残した幕末・明治期における東金屈指の文人。
 文政2年、山辺郡福俵村(東金市)の農家の次男として生まれた。幼少より学問絵事を好み、東金に来遊した梁川星巌ら漢詩人と交わり、諸国を漫遊して儒者の篠崎小竹や南画家の貫名海屋、中林竹洞をはじめ文人墨客と親交を結びながら、独学で詩書画を学んだ。柳渓は同好の士と詩社を結成して詩作に励み、画業では歴史人物画と崋椿系の花鳥画を得意とした。明治15年、17年の第1回、第2回内国絵画共進会への出品したほかは、地方で活躍し、画家との交流や、素封家の絵画コレクションに学んで画嚢を蓄え、求めに応じて様々な画題を手がけた(城西国際大水田美術館)。※「東金市史」に詳伝あり。