萓島秀山 | ||||||
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萱島秀山(1858〜1938) 安政5年大宰府生。萱島鶴栖の長男。幼名は源太郎。初号は鶴仙。8歳の時から大宰府の本田竹堂について画を学び、書道を近藤登、上野芳草に学んだ。17歳から博多の石丸僊舟に師事し、さらに明治11年には長崎の小曽根乾道、牛島柳橋、日田の平野五岳に学び、翌年上京し、豊島海城、荒木寛畝らについて画技の研鑽に務めた。このほかにも吉嗣楳仙に画を、中村徳山に経書を学んだ。この間、20歳で家督を相続している。明治19年大宰府郵便局長となり、そのかたわら東京共進会、大坂共進会などに出品、褒状を受けた。昭和13年、81歳で死去した(UAG美術家研究)。 |
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