乾清花苑  太白廡 略伝引得

金森家

  

金森南塘(1823〜1904)

 明治の日本画家。山内林斎の弟、文政6年11月生れ。名可清。春木南湖の門人。あるいは嶋田南山の門人ともいわれ、人物画をよくする。明治27年の日本青年絵画協会第3回絵画共進会に「内福外鬼図」を出品、三等褒状。明治29年の日本絵画協会第1回絵画共進会に「大久保機警」を出品して二等褒状、明治30年(1897年)の日本絵画協会第2回絵画共進会に「百福」を出品、三等褒状を受ける。孫の金森南耕は祖父に学びのち養子となる。 明治37年8月31日没。
龜の圖(1882)
金森南耕(1880〜1935)

 明治の日本画家。金森南塘及び尾形月耕の門人。通称乙治。南耕、乾斎と号した。明治13年2月25日、東京四谷生れ。はじめ1903年)のころ、桶町時代の月耕の門下に入り、山村耕花とともに月耕の高弟として活躍した。人物画、山水画に秀で、日月会の幹事を務めた。明治40年の文展開設の際には旧派の集まりである正派同志会の結成に評議員として参加している。また第5回内国勧業博覧会をはじめとする各展覧会において作品を発表し受賞した。昭和10年〈1935年〉10月28日没、享年55。