金井氏 | ||||
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金井烏洲(1796〜1857) 江戸後期の画家。寛政8年生。江戸にでて画を春木南湖に、詩を菊池五山に、文を古賀侗庵にまなぶ。谷文晁を師友として文人画家として名をなし、頼山陽らと親交をむすんだ。勤王派としても知られる。安政4年1月14日死去。62歳。上野出身。名時敏、泰。字は子修、林学。通称は彦兵衛。別号に白沙邨翁。 |
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※名が忠、字中心とあり、金井氏の名・字と異なる。俟考 | ||||
金井之恭(1833〜1907) 幕末・明治の尊攘運動家、官僚。天保4年9月18日生。金井烏洲四男。慶応3年討幕をくわだて投獄されたが、新政府軍にすくわれ、東北戦争にくわわる。維新後、内閣大書記官、元老院議官、貴族院議員。日本書道会会長。明治40年5月13日死去。75歳。上野出身。字は子誠。通称は五郎。号は錦鶏(kotobank)。 安政の初め、四男であった之恭は新田郡木崎宿之桑原家(旅籠藤屋)に入り桑原梧楼と称した。討幕草奔のころである。書はこの時代に中沢雪城について学び、金井家の書風を改め「安政文雅人名録」一本(安政7)に名を挙げている。雪城没後はもっぱら古法帖を研鑽したという。明治2年東京市政局に奉職後復姓した。書名が躍進したのは明治17年東京紀尾井坂に建てられた大久保利通の哀悼碑を書丹してからである。(上毛書家列伝)。 書丹碑多し。 |
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