乾清花苑  太白廡  略伝引得

龜井家
                        ┌雷首──雋永━━千里 
                        │  ┝━━夭     
                        ┝少琴
龜井千秋━━┳南冥━━┳昭陽━━╋暘州    
          ┗幻庵   ┣雲來   ┗玄谷
                 ┣天地房
                 ┗女
                  │
                  山口白賁
龜井南冥(1783〜1814)
 江戸後期の儒者。筑前生。名は魯、字は道載、通称を主水。別号に信天翁・狂念居士等。徂徠学を増大潮に、古医方を永富独嘯庵に学ぶ。宝暦の末年には亀井塾蜚英館を開き多数の人材を育てた。天明3年福岡藩藩校甘棠館開講の時総受侍となる。門下に広瀬淡窓ら。著に『金印辨』『肥後物語』『論語語由』等。文化11年(1814)歿、73才。
  
休歇
 
宗曄

幻菴
芭蕉秋雨五絶
 
龜井幻庵(1750〜1816)
 江戸後期の臨済宗の僧・儒者。筑前の人。道号は曇栄。諱が宗曄。別号に禅月。儒学者龜井南溟の弟。崇福寺で出家し徳隠宗薩の法を嗣ぐ(87世)。漢学者大典顕常に師事し、漢詩文に優れた。文化13年(1816)寂、66才。
龜井昭陽(1773〜1836)
 江戸後期の儒者。筑前生。名はc、字は元鳳、通称はc太郎、別号に月窟。龜井南冥の長男。家督を継ぎ、筑前福岡藩儒となるが、後に免官。「政事」と「学問」の一致を説き、徂徠学を基本に朱子学を取り入れて家学を大成した。謹厳実直な人柄で、博学で知られ、経書の精密な注釈に本領を発揮した。弟子に広瀬淡窓・旭荘兄弟がいる。著に『論語語由術志』『家学小言』等。天保7年(1836)歿、64才。

龜井雲來

龜井天地坊(1777〜1812)

山口白賁 民平。筑前国福岡藩士。 甘棠館訓導を務める。 南冥の女婿。

 

龜井少琴(1798〜1857)
 江戸後期の閨秀漢詩人。昭陽の女。筑前生。名は友、小琴は字。墨竹図も能くした。安政4年(1857)歿、60才。

龜井雷首(1789〜1852)
  

 筑前の人、本姓三苫氏、名源・復、字應龍、雷首は号し、亀井昭陽に学んでその学才を認められ、昭陽
の娘亀井少琴の婿となる。医業と共に儒学も教授した。

龜井雋永 
 
少琴の弟の子。雷首の養子となる。










少琴雷首印譜幅
龜井暘州(1808〜1876)
 
昭陽の次男で、名は鐵次郎、字は革卿、号を暘洲と称し、祖父南冥以来の家学を受け継ぎ、詩文に優れた儒者である。


龜井玄谷
 頭山満の師
紐蘭 龜・桓
 未詳、引首に蜚英とあるので南冥の族かとも。



五絶
 

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