蕪城秋雪(1840〜1906) | ||||||||
現在の(石川県白山市中町)生れ。幼いころから絵が好きで、18歳の時に京都へ行き、画を学ぶかたわら読書・詩文・書も学んだ。文久2年帰郷した際、母を失ったが、これより中町の家に数寄屋を構えて、茶道と香道を嗜なんだ。慶応5年前田藩の御用を務めるため、金沢に移り、藩主の命で揮毫することが度々。明治4年子利嗣の進学について東京へ出、諸名士に揮毫を依頼されるようになる(白山市)。 秋雪は通稱二郎名は冲、別號は松碓・玄對閣主又は心華居士。石川郡松任の人にして、畫を東山雙林寺の義亮に學び、後東京に遊び、明治三十九年備中倉敷に客死す、享年六十七。著す所雲煙逸話・南畫指要等(石川県史) |
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