乾清花苑 太白廡 略伝引得
江戸後期〜明治の書家。文化14年生まれ。町医の娘。幼時から書にすぐれ、文政5年(1822)から江戸で活躍。8年京都へいき、書が光格上皇の上覧となり名をあげる。のち大坂で出羽久保田藩の御用商人と結婚。渓斎英泉の絵にかた書がのこる。明治21年1月11日死去。72歳。越後出身。通称は愛。号は東海女史。後名は三尾、三保(Kotobank)。
城南戦