乾清花苑  太白廡  略伝引得

伊東深江(1835〜)
 天保6年生。通称福太郎、諱孝正、字中甫。別号に春農。伊東家は代々町乙名の家系であり、深江も恵比寿町乙名の役をつとめ、幕末には居留地係となり、明治元年には長崎取締助役となった。養豚業に従事するも失敗、以後、長崎を去り神戸に移住した。三浦梧門に南画を学び、山水図と芦雁図を得意とした。