石川呉山(1844〜1917) |
石富山城下の鹿島町生。名熊太郎、のち逸翁、潤川、呉山などと号す。長崎で禅僧の鉄翁などに南画を学ぶ。慶応3年に清国へ渡り、運筆の技術を学び、様々な都市を訪れたのち、明治3年に帰国。明治14年頃より石川県・富山県内でも本格的にキリスト教布教が始まり、呉山の父母は金沢の牧師より洗礼を受け、呉山も明治18年には洗礼を受け、同24年には東京の伝道学校へすすみ、卒業の後香川県などでキリスト教伝道に努めた。晩年には富山に帰り、若い頃修めた南画をよくしたという(富山市郷土博物館)。 |
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